村上ひとし物語〜仁〜すべてのものに慈しみをもって



村上ひとし物語 6


 当時の法政大学は新宿区市ヶ谷に校舎がありました。ちょうど靖国神社の裏です。住む場所は学校に近いほうが便利なのですが、友達の溜まり場になるのが嫌で、少し離れた世田谷区の三軒茶屋にアパートを借りることにしました。三軒茶屋は渋谷に近くモダンでありながら、路地に入ると、庶民的な商店街の多い下町風情あふれる街です。

 風呂無し、共同トイレ、そして木枠窓と裸電球の6畳1間の部屋です。他にも入居希望者がいましたが、アパートの大家さんが北海道出身の方で、「北海道の人間に悪い人はいない」という信頼のもと、優先的に入居をさせて頂くことができました。

 北海道の実家からは布団と最低限の鍋釜だけ送ってもらい、後は自分で揃えることにしました。2人の姉も札幌の大学と専門学校に通い、3番目の私が東京の大学ですから、親の経済的な苦労は並大抵ではなかったと思います。贅沢など言える状況ではありませんでした。こんな金食い虫ですから、少しでも親に負担をかけないよう専らアルバイトに精を出し、教科書や生活必需品の購入に勤めました。

 地元の学生は大学の講義の合間、日に何度も喫茶店に行っていました。私も初めのうちは付き合っていましたが、アルバイト代を全て自分の交際費に使用できる学生たちと同様の生活は長く続けられませんでした。最終的に仲良くなったのは、同じ苦労を共有する地方出身者がほとんどでした。

 アルバイト代が入っても後先を考えずに使ってしまい、気がついたら1週間を数百円で暮らさなければならないことも度々ありました。食べさせてもらうのに北海道の親元に帰るわけにもいきません。今まで何の苦労も無く親に食べさせてもらっていたありがたさが身にしみました。それからは、何があっても米だけは備蓄しておくことにしました。お金が底をついた時、白いご飯にマヨネーズ。これが結構うまい。以後、全てにおいてマヨラーになってしまいました。こうした失敗を繰り返し、1人暮らしを軌道に乗せ、経済観念も身に付けることができたと思っています。

 学生時代は勉強よりアルバイト優先の生活。いろんな仕事をすることが楽しく、そのまま就職してしまおうかと思ったこともありました。あまりにもアルバイトに没頭し過ぎ卒業単位が不足し、1年長く大学に通うことになったのは誤算でした。こうして5年間の大学生活を終え、東京の運輸会社に就職をすることになり ます。

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