村上ひとし物語〜仁〜すべてのものに慈しみをもって



村上ひとし物語 4


 炭鉱町には独特の文化がありました。『オイヤ・エッ!』これは標茶町から炭鉱町の歌志内市に引っ越して来た時、始めて聞いた言葉です。小学校の教室で男の子が数人で『オイヤ・エッ!』と掛け声をかけながら何かをしています。よく見ると、じゃんけんです。どうしてじゃんけんが、『オイヤ・エッ!』なんだ。と不思議に思いながらも、郷に入れば郷に従え、その日から当然の顔をして『オイヤ・エッ!』になりました。

 また、一番方から三番方など、炭鉱の出勤形態の呼称や、銭湯の何倍もある炭鉱の風呂、目以外は粉塵で真っ黒な顔の炭鉱夫にも驚きました。そして、子供たち同士が風呂に入る時間を約束し、風呂での遊びや出来事を話しているのを聞くたびに、炭鉱の子供たちの連帯感の強さをうらやましく思っていたものです。

 転校により、小学4年生から6年生までは、異なる文化と環境に溶け込む努力が必要とされ、周囲を観察し順応していく力を養う貴重な経験ができたと思っています。また、井上陽水、吉田拓郎、かぐや姫などの音楽にも興味を持ち始め、お小遣いでレコードを買い始めたのもこの頃です。井上陽水のアルバム『氷の世界』(LP盤のレコード)は人生で最初に感動したアルバムでした。今でも大好きです。

 いよいよ中学への入学です。ずんぐりむっくりの体型から細身の体型へと脱皮も開始、身長が急激に伸び始めました。学生服も余裕を持って少し大きめにしました。しかし、あっという間に、ピチピチのまりも羊かん状態です。

 転校とは違い、今度は同じ仲間と一緒に中学生になれた喜びもつかの間、また1年の途中で転校になりました。

 3学期からは、砂川中学校に通うようになりました。砂川市はスイーツロード(国道12号線)として美味しいお菓子や高速から入れる子どもの国で知られる町です。

 歌志内では45分もかけて通学していましたが、こんどは3分です。毎朝「いつまで寝ているんだ!」と母親に気合を入れられるようになりました。小学校で転校した時は、男の子に溶け込む努力をしましたが、今度は女の子が妙に気になりました。気が弱いくせに、少しでも格好良く見せたいと思う色気を誘発したのが今回の転校でもあります。

 部活はサッカー部に所属し、毎日ボールを追いかけていました。3年生の頃、道路を挟んだ向かい側の砂川南高校ラグビー部の練習を見て感動、サッカーには無い興奮を覚えました。そして、砂川南高校に入学することになるので す。

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