村上ひとし物語〜仁〜すべてのものに慈しみをもって



村上ひとし物語 2


 父親が標茶農業高等学校の教員であったため、出生後は小学校3年生まで高等学校の敷地内にある教員住宅に住んでいました。当時、標茶農業高等学校は敷地面積が全国で1番広かったらしく、敷地内には、実習用の畑、園芸用の広大な温室、サイロや牛舎、豚舎、鶏舎、その他、あらゆる家畜がいました。また、戦時中は軍馬の生産と訓練施設であったようで軍馬山や防空壕までが敷地内にありました。子豚やアヒルに追いかけられ、牛の排尿に驚き、敷地内を走り回って遊んだものです。乾燥した牛糞はフリスビーの要領で投げると良く飛びました。

 今思えば、無限の楽しさがいっぱいだったと思います。しかし当時の私は、高校生の皆さんの実習や授業を相当邪魔していた悪がきだったのかも知れません。30数年前の標茶農業高等学校生徒の皆さん、大変ご迷惑をお掛け致しました。毎日お邪魔していたのは、この私です。

 保育園では画一的な遊びに馴染めず、登園を拒否し、母親を困らせた記憶があります。小学校に入学してからも、放課後は家にランドセルを放り投げ、近所の友達と高校の敷地内で牛や豚を怪獣や悪役にみたてた『ウルトラマンごっこ』『スーパージェッターごっこ』『8マンごっこ』『仮面の忍者赤影ごっこ』など、遊びのルールを子供同士が決める創造的なごっこ遊びが大好きでした。もちろん正義の味方は私です。

 やがて父親の転勤により、この恵まれた楽園と友人に別れを告げ、涙ながらに新たな地、空知の炭鉱の町歌志内市へ向かうことになったのです。小学4年になる春のことでした。

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